神という概念


「神」とは何か。
 それは人類が存在する限りにおいて永遠の謎かもしれません。
 神という概念自体は古くから存在しています。ギリシャやエジプトの神々などがいい例でしょう。日本においてもまた然りです。しかし、例えばキリスト教の神はそれらとは趣を異にしています。それはなぜでしょうか。ここでは話を簡単にするために、キリスト教についてのみ考えることとします。
 キリスト教における神の特徴とは、その唯一絶対性にあると思います。これがキリスト教というものの土台となっています。神を信じることにより、その教義は大きな意味を持つようになるのです。
 しかし、いったい「神」の「絶対」性をどこに求めたらいいのでしょうか。また、神の示したものを、どうして人間が正しく理解できたと言えるのでしょう。もしかしたら、全然見当違いをしているのかもしれません。それは誰にも分からないのです。ここで、反論に聖書を引きあいに出すこともできるでしょう。聖書にこう書かれているではないかと。しかし、神の真意をたったあれだけの分量で、しかも言語という極めて不自由な意思伝達方法で、正しく表現できたのでしょうか。そうでないならば、聖書は不完全なものであるということになります。聖書の解釈をめぐって多くの論争が起こり、多くの宗派が生まれ弾圧されていったことを忘れることはできません。
 別に、私はキリスト教を初めとした宗教というものを否定しようとしている訳ではありません。私の考える宗教成立過程というのは、本来自然崇拝であった信仰が、やがて社会道徳と結びついて宗教という形へと変化を遂げていったというものです。社会道徳は良心に訴える因子として働き、社会の運営をスムーズにする効果を持ちます。宗教は社会道徳に対して威厳を与え、強制力を生み出します。それ故、社会において宗教というものの存在が求められるのです。
 しかし、社会道徳といえども、正しさを維持できるのは共通の価値観を持つ社会内においてのみであり、普遍的なものではありえません。なぜなら、社会道徳というものは、社会における人間関係の円滑化を目的とした一種の決まりに過ぎないからです。どの様な決まりを定めるかについての基準など存在するはずもないのです。それ故、多くの価値観が世界中に存在しうるのです。キリスト教がその勢力圏を拡大していった時、それまでの宗教や道徳とキリスト教との間で激しい葛藤が生じたことは何ら不思議ではありません。キリスト教伝道の歴史とは、それまでのものを破壊し、新しい秩序で塗り固めていく歴史でもあるのです。
 ここで話を神へと戻しましょう。キリスト教には絶対的な神がいます。しかし、神は本当に必要なのでしょうか。本当に問題となるのは、神がいるかどうかではなく、「神」というものが必要とされているかどうかだと思うのです。
 私は「神」ではなく「神の存在」だけでいいと思うのです。「神」自体は必要ないのではないでしょうか。「神の存在」とは「相対」という概念の為にあります。「相対」とは、全てをありのままに捉えるということです。「絶対に正しい」「絶対に間違っている」という考えを捨てさることです。なぜなら、普遍的に正しいかどうかという基準は存在しえないからです。判断の物差しは共通の社会内でしか使用できないものなのです。「神の存在」とは「絶対」を用いた「相対」化です。座標中に神という基準点を取ることによって、個々の位置を明確にし、個々を相対化することです。しかし、ここで神は座標のある一点として捉えられているに過ぎないのであり、その点は座標内のなんら特殊な点でもありません。ただ、約束事として、そこに定めただけなのです。
 つまり、「神の存在」すら必ずしも必要であるとは言えないのです。「神の存在」とは相対化を行う際の基準に過ぎないのであり、相対化が行われてしまえば「神の存在」はその存在価値を失うのです。相対化の行われた後では、「神の存在」はなんら影響力を持たないのです。判断を下しているのは自分自身なのです。決してそのことを忘れてはいけません。だからこそ、全てを認めなければならないのです。
 全てを認める。つまり、自分が正しいと考えたことと同様に、それに対することも認めるのです。しかし、決して自分の意見を捨てろというのではありません。自分が正しいと考えた、ということも同時に認めるのです。これは一見、矛盾したことのように聞こえるかもしれません。しかし、それを矛盾しているという見方自体が一方的な見方になっているのだということに気付くべきなのではないでしょうか。全てを認めた上であればこそ、解決のための議論ができるのではないかと思っています。
 話があちこちへと飛んでしまいましたが。結局、絶対正しいものなんて存在しない。だから自分が選択したことに対して、自分自身で責任を持たなければならない。要は、自分自身で判断したのだということを忘れてはいけないのです。それが他の人にとっても正しいとは限らない。だからこそ、人の自由を尊重しなければならないと思います。
「神」とは何か。
 やはりそれは人類にとっての永遠の謎なのかもしれません。


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